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最終更新日:2014.7.17|意見数:59件

芸術の学校Yotsuya Art Studium(東京新宿)については画面最下を参照。

2014

4/29

近畿大学国際人文科学研究所ホームページにおける表記を追加報告。

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3月31日をもって四谷アート・ステュディウムは閉校。 在学生有志による近畿大学への存続を求める活動は終了する。今後の活動について、いくつかの講座の受講生により、自分たちで学び研鑽する場を生み出そうとする動きが始まっている。

3/17

提出した署名の請願事項に対する回答を求めるため、在学生有志よりコミュニティカレッジオフィスへ電話で問合せ。窓口担当者からは「署名冊子を渡したが(事務長、所長からの)返答はない。今後も署名に対し何らかの見解を示すことはない」との回答を得る。


3/10

在学生有志が、これまで集めた署名(529名分)を近畿大学国際人文科学研究所コミュニティカレッジオフィスへ提出。提出の際も直接の回答は得られず。


2013年12月2日月曜日

「果敢な遭難(冒険)をやめさせることはできません」橋本聡

[「アーティスト」や「基礎芸術 Contemporary Art Think-tank」などで活動しています。最近は「ロバート・スミッソン」のプロジェクトを複数人で企画しています。]


たとえば「政治」や「経済」、「科学」、「芸術」などと並べられ、役割分担のようにカテゴリー分けされますが、それは利便性や効率性などによる手管のようなものです。たとえ多くの人が手管と受け取らないとしても、「芸術」にとっても「何か」にとっても、そのような図式に身を任せることは檻に入るのと一緒でしょう。だから、その図式に囚われずに「芸術」やら「何か」はあらゆることに向かわなければ骨抜きになってしまう。でも、大半の「何か」だけでなく大半の「芸術」を掲げる機関、そして「アーティスト」を掲げる個人でさえ、役割分担に終身しようとします。


四谷アート・ステュディウムは「学校」なり「芸術」という言葉を暫定的に掲げるとしても、上述のカテゴリー分け自体をも解体し、それらのパーテーション(区分け)をフレキシブルに筏なり、サーフボードとなしアクチュアルな冒険をおこすものでありました。それが個人的活動でなく、機関の規模でなされるのだから、より驚愕なことです。個人的活動とは位相が違い、複数の活動を交通させるプラットホームを形成し、アクチュアルなネットワークを駆動させる。そのプラットホームが破壊されれば、そこで交通する多くの者の冒険までもが破壊されてしまいます。既成のプラットホームにのっかるだけの大半の学校とは違い、代わりはないのです。

長い年月続けられ巨大化した組織はいつしか、理念が形骸化し、組織を延命させること自体が何よりもの目的となり果てます。そのように、大半の大学が専門化や分業化によって学部を増殖させ肥大化していく形骸化した状態にあるわけですが、日本屈指のマンモス校である近畿大学はそのようなものの象徴的存在と言えるかもしれません。だから、何かを終わらしたいならば、近畿大学の方々は近畿大学自体を終わらしていくべきでしょう(今回のような酷い閉校の仕方ではなく)。なのに、見渡す限りどこの学校よりもアクチュアルに活きている四谷アート・ステュディウムを閉校しようとすることは甚だ本末転倒です。一体全体どのような意図がおありなのでしょうか。何を見ておられるのでしょうか。

きっと、そこに渦巻く海原どころか、その画期的な筏や、出来合いのボードでのサーフィンにも全く気づかないのでしょう。そこでは果敢な遭難があります。アクチュアルにあらゆることに向かうことで生じる必然的な遭難(冒険)です。その冒険をろくな段取りもなく強行的に破壊することは、無惨な死を招き兼ねない大変な暴挙です。

冒険をやめさせることはできません。たとえ、環境やネットワークを破壊されても続いていきます。活動の継続や転換の判断は、箱ものを提供する側ではなく、そこで活動する者にあります。そして、冒険(遭難)の真っ只中では活動する者にも選択の余地はないのです。とはいえ、そのような近畿大学の方々に期待はしていません。流し読み、きっと読みもしないのでしょう。でも問われている当事者が読まないものを他の者が読む、そこには幾ばくかの期待があるのかもしれません。



●受講講座履歴
2003年 ANTINOMIE展、芸術理論ゼミ
2004年、2005年 岡崎乾二郎ゼミ